番外編、　花かんむりに誓う道

一、はなむけの花飾り 　ああ、嘘だ。これは嘘だ。 　奥津城の地に膝をついたセルファスは、美しい銀糸の一房を手に取り、呆然と神女の顔を見下ろした。白銀色の絹のような髪をうち広げ、そこに横たわっている美しい少女。まるで、ただ眠っているかのようだ。彼女は、傍らで同じようにその身を横たえている少年の手を握り締め、そのまま呼吸を失っていた。 　神女に手を握られた少年――ルカウの流したおびただしい血を一瞥すると、セルファスは唇を引き結んだ。どうして、僕じゃなかったんだ。 「シャオルウ？」 　少女は答えない。あらためて口元に手をかざしてみたが、やはり吐息はなかった。 「シャオツィ、返事をしておくれよ。あんまりだろう、僕に何も言わずに逝ってしまうだなんて」 　そんなにまでに君は、僕が嫌いだったかい？　少しは僕のことを見直してくれたものだと思っていたのに。それは、単なるうぬぼれでしかなかった？　 　彼は、彼女を銀の髪ごと抱きしめた。まだ、ぬくもりが残っている。肌もなめらかでやわらかいままだ。セルファスはシャオツィの亡骸の頬にみずからの額をおしあてて、ついにこらえきれず、泣いた。嗚咽をもらすまいと思い、歯を食いしばって、泣いた。熱い涙が次々と湧いては流れてシャオツィのなだらかな肩を濡らしたが、それはまるで他人ごとであるかのようで、今までのように彼女がセルファスを突っぱねることも、もちろんだが応えることもなかった。 「……死んだのね？」 　セルファスの背後で、アザレアが言った。それは問いかけではなく、確認だった。彼は振り向かずに、ただいっそう強く神女の体を抱きしめた。その細やかな肢体が、折れるのではないかというほどに。 「海神の神女は日の息子を選んで、一緒に死んだのね」 「アザレア、下がりなさい」 　分別のある男の声が響いた。足跡がゆっくりと近づいてくる。アザレアは納得がいかないようで口答えしつつしばらくねばっていたが、結局はその神兵長のみごとな手際によって追い払われた。 「……セルファス」 　ギーヤが、ゆったりとした声で彼の名を呼んだ。セルファスはさらに、シャオツィを抱きしめる腕に力を込めた。 「シャオツィを、はなしてあげなさい」 「…………」 「セルファス。はなしてあげなさい」 　はなしたくはなかった。冷たい地面にみずからの手で彼女を横たえるなど、絶対にしたくはなかった。けれどもセルファスは神女の閉ざされた目元を見つめ、そっと腕をほどいた。するとシャオツィの銀の髪すじがさらさらと音を立てて、肩から背中へと流れ落ちた。 「神女もルカウもわだつみと立派に戦って、立派な相打ちとなったのです。都に連れ帰って、おとむらいをしましょう。彼らは後の世にまで語り継がれる英雄ですよ」 　手をつないだシャオツィとルカウの亡骸はやがて、海都から運ばれてきた大きなひとつの柩に、泣き女たちの手によっておさめられた。泣き女はめいめいに泣き叫び、悲しみを嘆き訴えながら、柩と共に都中を行進した。そしてまた、大聖殿では、二人の英雄の遺骸をこれまでの歴代の神女と同じように保存するか、それとも聖炎で焼いて灰にするかに意見が分かれ、大いに紛糾したが、セルファスにとってはもはや他人の意見などどうでもいいことだった。 ――誰が何と言おうと関係ない。すべては、シャオツィが望むようにするべきだ―― 　セルファスは混乱する大聖殿を無視し、英雄の柩をひそかに持ち出した。命令により仕方なく彼を手伝って馬車に柩を乗せた従者も途中で恐れ多くなったらしく、セルファスに同行することだけは泣いて拒んだ。セルファスは一人馬車の手綱を握り、ひっそりと柩を運び、外海へそそぐ大河の岸辺へと至った。 　彼は苦労して柩を川に浮かべ、その内側を岸辺に咲き誇っていた花でいっぱいに満たした。花と花びらに肩口までうずもれたシャオツィはいっそう美しく、これではまるで、花嫁が祝福されて眠っているかのようだ。それを見てセルファスは笑いたくなり、そして本気で泣きたくなった。 ――馬鹿みたいだ。……いいや、僕こそが本当の馬鹿なんだ―― 「さようなら。僕の愛しいシャオルウ」 　彼女の頬を撫で、セルファスはその白い額に口づけた。そして顔を上げると、今度は彼女に寄りそっているルカウの額に思い切り爪はじきを食らわせた。 「覚えてろ。僕があの世に行く日が来たら、そのときこそ決闘をしておまえからシャオルウを勝ち取ってやる」 　最後にもう一度シャオツィに触れ、名残惜しく、はなれがたく思いながらも、ついにセルファスは盗み取ってきていた青い聖炎を柩の中の花に移した。色とりどりの花の上で青い火があざやかに燃え立ち、ちろちろと美しく揺らめいている。彼が柩のへりを強く押すと、それは舟のように流れの中へとなめらかに移動して、青い火の粉を舞い上げながらぐんぐん遠ざかり、外海へと旅立っていった。セルファスは旅立ちの舟が見えなくなっても、なおしばらく、その場から動くことなく外海の方角を見つめていた。 　都に戻ると、ちょうど大聖殿から出てきたところのギーヤと目が合った。ギーヤは何も言わずに、ただ満足げに微笑んでいた。何もかもが見透かされているような気がしたが、そんなギーヤの笑みに対して、セルファスは恐怖ではなく、安堵がこみ上げてくるのを感じていた。 「セルファス。あなたに、お礼を言わせください」 　ありがとう。ギーヤは静かにそうささやいて、セルファスの前を通り過ぎて行った。大聖堂からはまだ、罵声、悲鳴、叫び声がとめどなく聞こえており、果てのない議論の紛糾が続いていた。

≪目次に戻る　　　　　≪indexに戻る　　　　　　　　　　　　　　　＜前へ　　次へ＞