| Nachtmusik 姉談義 |
マックシェイクをずずず、とすすって俺の話を聞いていた栄介が突然目をむいて飛びあがった。 「おまえ、自分のねーさんが好きなの？ 信じらんねぇ！」 声がでかい。なにごとかと、まわりのテーブルの客がこっちをうかがっている。俺はため息を盛大に吐き出しながら、コーラの氷をかきまぜた。 「ちとせは戸籍上の姉貴だけど、実際は従姉だよ」 「でも一緒に住んでるんだろ？ 毎日顔合わせてるんだろ？」 「もちろん」 「戸籍上姉貴で同じ家に住んでるんだったら、やっぱりねーさんなんじゃん」 「なんだっていいよ。関係ないし」 ちとせはちとせで、俺は俺で。ちとせの肩書が姉だろうが従姉だろうが、どっちだっていいと思うんだけど。肩書で人間が変わるわけじゃないしさ。 栄介はまだ「信じらんねえ」を連発してて、シェイクの底に残った氷をストローの先でつついていた。 「オレには理解不能だぜ。ねーさんという存在ほど、鬱陶しいものはないってのに」 「だからちとせは栄介が考えてるような姉ってやつとは違うって」 「それでも理解できねぇな。おまえのねーさんってさ、口うるさかったりしねー？」 「だからねーさんじゃなくって、ちとせ」 「んじゃ、千歳さんはガミガミとかキャーキャーとかうるさくねーの？」 栄介のお姉さんって、いったいどんな人なんだろ？ 二人いるはずだけど、栄介から聞いてると、なんだか動物園の鳥類ゾーンにいるやかましいオウムかインコみたいだ。 「ちとせはうるさくないよ」 「小さい頃、おまえオモチャにされたりしなかった？」 「オモチャ？」 「万世なんかさ、髪長いから三つ編みにされたりリボンつけられたりして遊ばれてそう」 「んー……ないね、そういう記憶は」 「ええっ！ 羨ましいヤツ！ オレなんか散々着せ替え人形扱いされてたんだぜ？ ねーさんのお古のひらひらしたスカート着せられたり、カチューシャつけられたり、化粧されたり……ああくそっ！ 思い出しただけで腹が立つ」 あぜんとして言葉が出て来なかった。着せ替え人形というか……女装？ 「ねーさんたちはさ、オレと年がはなれてるから。二人とももう大学生だし。生まれた瞬間からオレは二人のていのいい着せ替え人形、オモチャだったんだ」 「そりゃあお気の毒だったね……」 ――でもまあその顔じゃあ、ねえ？ ガシガシとストローで氷を砕いている栄介の顔をうかがう。運動部でもなし、外で遊ぶこともなしの栄介の肌は白くてつやつや。目は「つぶら」って表現がぴったりで、睫毛は長い長い。そこいらの女子よりずっと美人だ。女装のさせ甲斐があるとお姉さんたちが思っても、しかたないと思う。 「今でも二人とも、何かとかまってくるんだ。うるさいったらねーよ」 「でもかわいがられてるんじゃない？」 「嬉しくねえって」 栄介は顔を赤くして怒ってる。でもきっと、本気じゃない。 「……俺はちょっとだけ、羨ましいかも」 俺がつぶやくと、栄介はさらにばかでかく目をみはった。 「どこが！」 「俺はもっとちとせにかまってほしいのに、かまってくれないからさ」 「贅沢言うやつだな。鬱陶しくないに越したことねぇじゃん」 「だって俺、ちとせが好きだし」 「おまえってさあ、とことんシスコン？」 「違うちがう、恋愛感情」 答えると栄介がのけぞった。 「げ。本気で禁断の恋？」 「だから言ってるじゃん。ちとせはほんとのところは従姉なんだって」 すると栄介はうめきながら腕組みをして、しかめっ面をした。かわいい顔が台無し。 「長いこと一緒に住んでても、やっぱイトコ同士だと実の姉弟とは違って遠慮ってものがあるってことか。だからおまえに無理言ったり無理やらせたりしないのか」 ポテトの最後の一本を口に入れて、俺は肩をすくめた。 「俺はちとせに遠慮なんかしてほしくないけどね」 「千歳さんってさ、どんな人？」 「んー……ちとせはちとせだからね。どんな人って言われても」 「キャーキャーうるさくねぇんだよな」 「全然」 「やたらかまってもこないんだよな」 「俺としてはもっとかまってほしいね。というか頼ってほしいかな。ちとせって、人に弱み見せようとしないで全部自分でどうにかしようとするから」 栄介が、長い睫毛をぱちぱちしばたく。 「千歳さんって、もしかしてクール？」 「ん、クールかも」 「頭いい？」 当然。これは聞かずもがな、だ。 「あ、それは抜群にいい。万年学年首位キープ」 「うお！ すげえ」 またしても栄介がのけぞる。こいつはいちいちリアクションが派手だ。お姉さんをうるさいとか言ってるわりに、俺は栄介もじゅうぶんうるさいと思う。 「高校受験だってさ、普通だったら余裕で進学校の陽明とか善哉女子部とか受かるぐらい頭良かった」 「陽明高校も善哉女子も偏差値めちゃくちゃ高いじゃん！」 「うん。それでも楽勝なぐらい」 「すっげー！ んじゃ今はどっちの学校行ってるんだ？」 「竜胆」 一瞬、俺たちの前に沈黙が落ちた。栄介が、わけがわからないというように首をかしげる。 「……は？」 「だから私立竜胆学院」 「え？ 竜胆？ 頭いいのに？」 竜胆学院は、よく言えばすべりどめ校。悪く言えば三流高校。荒れてるとか素行のよろしくない生徒がわんさかとかそういう噂はないけど、少なくとも進学校じゃない。この事実を思い出すたびに、俺は兄貴をうらむんだ。 「試験直前に予定外のトラブルがあってさ。その心労で試験失敗」 「あちゃー……」 「ま、本人一応は立ち直ったみたいだけど。一見、ね」 栄介はまじまじと俺を見て、それから蛍光灯パネルのはまった天井を仰ぎ見た。 「……なんか話し聞いてるとさ、俺のねーさんたちと千歳さんって別次元の人間だよな」 「そうなの？」 「間違いねぇよ。うちのねーさんは奇声発生機だから」 奇声発生機ってなんだろう……。 「うるさくて鬱陶しい」 「散々に言うね」 「事実を述べたまでだって」 「ちょっとお目にかかってみたいかも」 俺は本気でそう思った。栄介のお姉さんならそれなりに美人だろうし、その美人が奇声を発しながら栄介を猫かわいがりするってのは、きっと見ものだ。 「やめとけって！ おまえ、そんな髪してるからぜってぇ遊ばれる！！」 三つ編みされるくらいなら別に何でもないけど。そのまま家に帰ったらちとせが大受けしてくれるかもしれないし。 「髪ちょこっといじられるくらいならかまわないよ。それにさ、中学生を着せ替え人形にはしないでしょ」 「フン、ねーさんを甘く見ないほうがいいぜ。今でもオレ、朝起きて顔洗おうと思って鏡見て口紅塗られてることに気づいたりするからな」 「……（絶句）」 「寝込みを襲うなんてひでーよなぁ｡いい加減人形遊びから卒業しろっての」 「口紅か。それはやられたくないね」 「そう思うだろ？」 「思う」 「…………」 ふいに、栄介が黙りこんだ。めずらしく真剣な顔をして、あごに手をあててテーブルの一点を見つめている。 「栄介？」 「……オレさ、千歳さんに会ってみたい」 なんだ、そんなことか。 「ん、今度帰りにでもウチに来る？」 「行く行く！」 「あ、でもちとせは俺のだから｡いくら栄介がちとせを気に入ったとしてもわたさないよ？」 「万世と千歳さんの姉弟愛を目の当たりにしたらあきらめてやるよ」 「だから姉弟愛じゃないって！ まっとうに恋！ 恋だっての！」 「恥ずかしくねえの？ 大声でそんなこと言って」 「だって事実だから」 きっぱり宣言した俺に栄介があきれ返る。 「千歳さんもそうやっておまえとの仲公言してんの？」 「ちとせはきっとそういうことしないね。俺としてはしてほしいんだけど」 「…………」 「じゃあ、ウチ来るのはあさってあたりでどう？ 栄介あさってなら美術部ないでしょ」 「ああ、ねーよ」 「ちとせも帰り早いと思うし」 「ん。土産でも持ってってやるよ」 「土産？」 「ねーさんたちが近々菓子焼くようなこと言ってたから。それを土産に」 びっくりした。お菓子づくり！ ちとせはそんなこと、ほとんどしない。兄貴がいたころは一緒にホットケーキ焼いたりしたけど。 「栄介のそのお姉さんたちって、お菓子づくり得意？」 「クッキーでもマフィンでもガトーショコラでも、まずいと思ったことはねぇな」 「ふーん……」 「なんだよ？」 「別に」 鬱陶しいとかうるさいとか何とかめちゃくちゃ言いながら、栄介だって結局好きなんじゃないの？ お姉さんたちのこと。 まあ、俺がちとせにいう好きとはもちろん、全然違うんだけどね｡ |
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