ハーティスはあきれてしまって物も言えなかった。何なのだ、この部屋の汚さは。
　彼が食事を用意しに行っていたほんの小一時間のあいだに、いったいどうしたらここまで汚すことができるのだろう。部屋の主の散らかしぐせは充分に熟知しているつもりだったが、これは新記録だ。
　床に山と積み上がった分厚い本、鷲ペンで少し書いてはくしゃくしゃに丸められ、投げ捨てられた紙、丁寧に束ねて保管しなければならないはずの薬草がばらばらになっており、食べかけのリンゴがひからびてかたくなっている（リンゴは以前からだが）。ニレの木を削り出して作られた杖は無造作に転がっており、それをくちばしでつついて遊んでいるのは使い魔カラスのスルスミだ。スルスミとしては遊んでいるというよりも、止まり木変わりの杖が倒れているので立てなおそうと必死なのだが、その努力は今ひとつ報われていない。
　その散らかった本やら紙くずやらの樹海に埋もれるようにして、ハティと同じ年頃に見える少女があぐらをかき、板張りの床に座っていた。黒ずくめの服をまとい、オレンジがかった金の髪は獅子のたてがみのようにふさふさと広がっている。美しい少女なのだが、地味な長衣をだらしなく着て床に座りこんでいるその背中は、貧民街の乞食とたいして変わらないようにも思えてしまう。
「いい加減にしようよ、レオギン」
　スープ皿の載った盆を両手でささげ持ったまま、ハティは大きく嘆息した。
「片付けるのは僕なんだよ？　もうちょっと考えて散らかそうよ」
「どうせ片付けるのはハティなんだから、私がどう散らかそうと私には何の問題もないじゃないか」
　派手な金髪を肩にはらいながら彼女は顔を上げた。どこかしら不満そうな様子で。
　ハティはひとまず盆をストゥールの上に置き、机の上を片付けることにした。袖がすればこぼれそうな位置にあるインク瓶にふたをし、新旧混ぜられてしまっている鷲ペンを分けて芯がくたびれているものを捨てた。ニレの杖を壁際に立てかけるとスルスミが喜んで羽ばたいた。使いかけの木炭と木炭を消すパンくずとをもとどおり箱に収め、なかなかの達筆で何やら記されている紙束をひとまとめにすると、ようやく一人が食事をできるだけの空間ができた。
「お昼にしよう、レオギン。スープが冷めてしまうよ」
　ハティはレオギンのために机の上に皿とスプーンを並べ、彼自身は盆ごと膝にかかえて床で食べることにした。芽キャベツとジャガイモのコンソメスープは少しばかり塩辛かったが、許せないほどでもない。
　レオギンは読んでいた本のページに羊毛を編んだしおりをはさみこみ、のそのそと立ち上がった。漆黒のはずの長衣のすそは埃で白っぽく汚れてしまっている。彼女はそれをまったく気にしないばかりか気づいてすらいない様子で、すそを引きずりながら綿ぼこりをくっつけながらストゥールに座った。ハティが知るかぎり、五年前から彼女はずっと同じ長衣を着続けている。レオギンの身長は"年々縮んでゆくばかり"なのだから、そろそろ長衣の裾を折るなり作り直すなりしなければならないと思うのに、当人はてんで無頓着なのだった。
「ねえ、何を調べていたの？」
　ハティがたずねると、木製のスプーンを黙々と動かしつつレオギンがたずね返した。
「ハティはこの春、十二祝いだったよな？」
「え、あ……うん。去年十二歳になったから」
　そういえば、五年前にハティがはじめてここにやってきた頃も十二祝いの季節だった。姉が祭日のための新しい晴れ着に有頂天になって、芝生の上で得意げにくるくると回っていたのを思い出す。その際に、姉に金髪だったら良かったのにと言うと、彼女は憤然と怒り出したのだ。真っ赤になって怒る姉の姿が思い浮かび、ハティが思わずふき出すとそれを見ていたレオギンは妙な顔をした。
「どうしたんだ？」
「何でもないよ。ただ、ちょっと昔のことを思い出していただけ」
　今ひとつわからないといった表情のまま、レオギンは食べかけのスープへと視線を戻した。塩気が多いわりにベーコンが少ない。ジャガイモが一部生煮えである。文句を一言二言つぶやいて、再びスプーンを動かした。
「十二祝いの祭日に、祝い菓子を作ってやろうと思ったんだ」
　そして口に芽キャベツを含んだまま彼女はだしぬけに言うものだから、ハティは聞きとれずにレオギンを見返した。
「何？」
「祝い菓子を作ってやろうと思ったと言ったんだ」
　レオギンは繰り返した。あまりよく噛まずに飲みこんだ芽キャベツがつまったのか、言いながら眉をしかめて喉元をたたいている。ハティが水差しからコップに水をついで差し出すとレオギンはそれを一気に飲みくだした。コップが空になると、苦い丸薬を無理やり飲まされた猫のように舌をつき出した。それを見てスルスミが面白そうに声を立てて笑ったので、腹を立てたレオギンによってカラスからトカゲに姿を変えられ、ぽとりと床に墜落した。真っ黒なトカゲは目をむいて、目にもとまらぬ速さで走り去っていった。
「祝い菓子って？」
　先に食べ終えたハティは食器を洗い場に下ろして訊いた。あまりお腹がふくれなかったので納戸からパンを少し持ってくればよかったと思ったが、お茶の時間までなら何とかもちこたえられるだろう。
「知らないのか？」
　ようやく落ち着いたレオギンは信じられないというようにその鮮やかな緑の目を見張った。ハティにしてみれば、この大いに常識からはずれている彼女から心外そうに言われることのほうが、よっぽど心外だった。そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、レオギンは説明した。
「十二祝いの祭日に、星のめぐりがひとまわりする十二年のあいだ生きていられたことを祝って食べるお菓子だ。薄い生地を揚げて、粉砂糖をたっぷりとかけるんだ。十二祝いの日ではなかったが、私も食べたことがある」
「その祝い菓子が何だって言うの？」
「祝い菓子をハティのために作ってやろうと思ったんだと言ったじゃないか」
　だから、分量や作り方の資料を探そうとしてこんなにも部屋が散らかってしまったんだ。スープ皿を洗い場に運びながら、彼女はあごで部屋の惨状を示した。群塔のように積み上がった数々の本、少しばかりメモをしてはくしゃくしゃに丸められて放り投げられた紙くず――おそらく作り方を走り書きしたものの気に入らなくて丸めたのだろうが――お菓子の作り方ひとつを探すために、どうしてここまで散らかす必要があるのだろう。やはりハティには理解しがたかった。それでも、わざわざ祝い菓子を作ろうとしてくれた彼女の気持ちはとてもうれしかった。
「魔女でもそういうお祝いを気にするんだね。ちょっと意外だった」
「意外だとは何だ。ヒーリア女神じきじきのしもべたる薬草園の魔女が祭日を祝わなくて、いったい誰が祝うんだ」
　ハティが洗った皿を受け取って水気をぬぐいつつ、レオギンは彼を横目でにらんだ。しかしそのようなレオギンの物言いに慣れっこになってしまったハティには、まったくもって気にならなかった。
「レオギンもそろそろ十二歳くらいでしょう？　だったら僕と一緒にやろうよ、十二祝い」
　ハティの申し出は無邪気なものであったが、レオギンはかぶりを振った。彼女にとってみればそれは"残酷な申し出"でもあったのだ。けれどもレオギンは小さく苦笑いをしただけだった。
≪目次に戻る　　　　　≪indexに戻る　　　　　　　　　　　　　　　＜前へ　　次へ＞